とにかく突っ走って生きてきた。押しつぶされそうなプレッシャーを抱えながら、毎日必死に働いてきた。時代が今とは違い、バリバリ働く女性・仕事ができる女性は会社内で、社会的にも偏見を受けてきた。スカートを履いていっただけで、「なんだその恰好は。とりあえずパンツスタイルにしてこい!」みたいに言われたこともあった。負けず嫌いの私は次の日もスカートで行った。子供ができても、育休なんかほぼない。会社近くのホテルの保育所に預けながら、毎日会社とホテルを行き来した。いつしかキャリアだけは積み上がり、会社の株だけでなく個人年金まで資産運用するようになっていた。それからは、これでもかというくらい稼ぐようになった。南麻布に住んでいる。
私は外資系証券会社で長年働いてきた。
愛する息子は私にとって宝物だ。エキゾチック、密かにそう呼んでいる。なにしろ問題児すぎるから笑。私はどんなに忙しくても、どんなに疲れていても母親として子供との時間を大切にしてきた。大切にしている。と思ってきた。けど、つもりでいたのかもしれない。子供からしたら愛情は足りなかったのかもしれない。どんなに稼いでも、時間はお金では買えないし、子供との時間は増やせなかったのは事実だった。色々あり片親の家庭に、私の仕事も重なりエキゾチックは孤独だったみたい。そこに気づいたのは、私は50歳、エキゾチックは高校生になっていた。私はそこでぶっ飛んだ。色々ぶっ飛んだ。色々な教育の道があると。こうでなくてはいけないということはないと。選んだ道は早期退職。ここで私はキャリアを終える決断をした。簡単ではなかったけど、なにより後悔をしたくなかった。そこでまずエキゾチックを連れて世界数十か国をまわる旅に出た。この普通では体験できない経験が、いつかきっとエキゾチックによかったと思える日が来ることを信じて。もちろん南麻布の家も売った。
世界を旅する中で、エキゾチックはスイスに恋をして、スイスの学校に転入させることにした。旅行中に学校を決めて現地に置き去りにしてくる親がどこにいるのか。私もかなりエキゾチックだ。私はというと、帰国して都内にはいられずに、葉山に移住を決めた。なぜ葉山なのか。行けばわかるさ。けど私は葉山の下山口というエリアの内陸の山の上に決めた。趣味が登山、SUP、ヨガ、自転車、キャンプなどかなりのアウトドア信者の私には、かなり魅力的な土地に出会ったからである。山の上にある古家を解体してコンパクトな平屋にひっそりと住むような暮らしをしたかったから。眺望や海は絶景の場所に行けばいいだけのこと。近くには星山という場所があり、タイドプールという団体も活動している。エキゾチックが帰国したら一緒に参加してみようと思う。下山口の山の上から、残りの人生をじっくり好きなことをして生きていきたい。
▼GITAKU × THE SKELETON HOUSE
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(正o)
